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今回はTVゲームを、玩具という視点から考えてみたいと思います。はたしてゲームとはおもちゃなのでしょうか?
この文章を書くに際して同文書院から出ている『20世紀おもちゃ博物館』という本を参考とさせていただきました。江戸時代から現在に至るおもちゃの歴史が、写真や各著名人によるコラムで綴られており、大人から子供まで誰でも楽しめる大変興味深い本です。
まずはじめに、おもちゃとはいったいどんな物のことを指すのかを考えてみたいと思います。もっとも重要なこととして、おもちゃとは「子供の遊びを広げる道具」であると言えます。誰しも幼い頃に親に与えられたおもちゃで遊んだ思い出があると思います。ではなぜ子供はおもちゃで遊ぶのでしょうか?僕が思うに、現実では実現が困難な「子供の抱く夢」を、子供特有の溢れんばかりの想像力とともに擬似的に具現化してくれるからではないでしょうか。またはおもちゃが物として存在することによって、子供の想像力を助けてくれるからという言い方もできると思います。例を挙げるならば「ウルトラマン等のソフビ」ならヒーローになれるし、「おままごと」ではたくさんの小道具とともに女の子はやさしいお母さんになることができます。おもちゃのお金で大金持ちにもなれますし、レゴなどのブロック遊びでは「街作り」や「カッコイイスポーツカー」など、かなえられる夢は尽きることがありません。このようにおもちゃには子供の抱くさまざまな願望を擬似的にかなえてくれる道具としての側面があります。
ではTVゲームはどうでしょうか?答えは簡単です。ゲームにも一つの要素としてそういった側面があります。たとえば『シムシティ』では街作りが体験でき、多くのアクションゲームではヒーローになり、『たまごっち』などの育成ゲームでは誰でも気軽にペットを飼うことができます。ゲームもまた、実現不可能な夢を擬似的にかなえてくれます。
しかしこの点について、一般的なおもちゃとゲームとでは一つの大きな違いがあるということを見逃してはいけません。それは一般的なおもちゃの実現する夢が、子供の想像力に頼っているため、不完全な形での擬似的実現しか与えてくれないのに対し、TVゲームの描き出すそれはプレイヤーの想像力を必要とせず、かなり完全な形で夢の世界を画面に映し出してくれるということです。TVゲームが登場してから現在までに、ゲームはものすごいスピードで常に進化し続けており、より完璧な形での夢の実現へと日々近づいています。その結果、ゲームは子供の想像力を養うという玩具としての役割を見失ってしまったのかもしれません。
一昔前「バーチャルリアリティー」という言葉がありましたが、ゲームの進化によって文字通り仮想空間のなかにもう一つの現実を作り出すことに限りなく近づいたゲームがあります。
『ウルティマオンライン』をはじめとする、インターネットを使ったMMORPGです。このゲームではプレイヤーはヒーローではなく「そこに暮らす一市民」として存在します。自分がゲームをやっているいないに関わらず、24時間常に世界中から大勢の別のプレイヤーが存在し、仮想世界は常に動き続けています。そこには確固たる社会性があり、守らなくてはならないルールやマナーが存在します。 またルールを破るということもでき、それが発覚した場合GMという警察のような存在によってペナルティを科せられたり、場合によってはゲーム内での死を意味するアカウント停止という罰が与えられます。
このように、TVゲームは今や限りなく現実に近い世界を作り出すことに成功しました。ではおもちゃでは、そういった現実の再現をして遊ぶことはないのでしょうか。いや、あります。「おままごと」がそれにあたります。おままごとでは子供が現実に目にしている世界を、お母さんやお父さん、ペットの犬など別の人物になりきって遊びます。そこでは街を壊す怪獣もいなければヒーローも存在しません。あくまで子供の視点からの一家庭を再現するのです。しかし、MMORPGと「おままごと」では明らかに違います。それは「おままごと」が再現するのはあくまでも家庭という、ごく小さな世界だという点です。もしMMORPGのように1万人、あるいは10万人もの子供がいっせいに一つのおままごとを始めたとしたらどうでしょう、既にそれは遊びではなく、恐ろしき子供帝国の誕生ということになります。
MMORPGの話を長く書きましたが、そもそも多くのMMORPGが子供を対象として作られてはいません。MMORPGに限らずとも、TVゲームの中には『GTA』『マンハント』などを初めとして、子供を対象としていないゲームが数多く存在します。
それに対して、一般的におもちゃとは子供のためのものです。ですから、そういった側面を持っている以上ゲームはおもちゃだという認識では、問題が出てきます。親が子供にゲームを買い与えるときに、あまり考えもせず何でもかんでも与えていたのでは非常に危険です。なぜなら、『子供を対象としていないゲーム』を子供がプレイしたとき、その後の成長に少なからず悪い影響を与えかねないからです。
やはりゲームはおもちゃではないのでしょうか。少し残念な気もしますが、ここでは
TVゲームはすでにおもちゃではない。
という結論にさせていただきます。
ですがハツミはこう考えます。 ゲームは進化を続けて行った結果、おもちゃというものから脱却を果たし映画や本、絵画などと同じ、文化の一部として歩み出したのだと思います。ゲームシステムのマンネリ化や、グラフィック進化の必要性などいろいろなことが言われていますが、ゲームはこれからも進化の歩みを止めることはないでしょう。
ゲームの進化と今後の発展についてはまた別の機会に書かせていただきます。それではここまで読んでいただいた方、お疲れ様でした。読んでいただきありがとうございます。